1949-07-07 第5回国会 衆議院 法務委員会 第32号
実は後藤つぎは逮捕されて四十八時間警察に置けるわけですが、大体時間ぎりきりになつても持つて來ないので、私の方から実は後藤つぎの身柄をどうしたのだといつて聞きましたところ、酒寄警部と松永警部補であつたと思いますが、やつて來まして、実は後藤つぎは老人で病氣であつた。それから犯罪事実は全部認めていたから、檢事の指揮を受けないで釈放した、こういうことを申しておりました。
実は後藤つぎは逮捕されて四十八時間警察に置けるわけですが、大体時間ぎりきりになつても持つて來ないので、私の方から実は後藤つぎの身柄をどうしたのだといつて聞きましたところ、酒寄警部と松永警部補であつたと思いますが、やつて來まして、実は後藤つぎは老人で病氣であつた。それから犯罪事実は全部認めていたから、檢事の指揮を受けないで釈放した、こういうことを申しておりました。
○横山証人 後藤つぎの犯罪事実としましては、やはり数件の戸別訪問でありまして、この事件は最初警察がずつとタッチしておりまして、私が指示いたしましたのは竹田候補と後藤つぎの逮捕を指示したのであります。それで二月九日と記憶しておりますが、私が加賀町警察署において、朝鮮人の不法監禁事件を取調べておつた現場へ、酒寄警察外一名を呼びまして、後藤つぎの逮捕を指揮しました。
○花村委員長 警察で後藤つぎの事件について、檢事の指揮を受くることなしに、後藤つぎの身柄を釈放したという話ですが、それは御承知でしよう。
○梨木委員 あなたは昭和二十二年の九月初めごろ、後藤つぎさんのところに、後藤つぎさんから呼ばれて行つたことがあるのですか。
○花村委員長 そうすると、その後藤つぎの話によると、後藤つぎのところにあなたの金が行つておらない、ことがあなたに受取れましたか。
○高木委員長代理 異議がなければ、岩山明正君、後藤つぎ君、平林昇君、榊清史君、佐野幸康君の五名を喚問いたしたいと思います。喚問の日は、六月二十四日午前十時より、委員会を開いて証言を求めたいと考えます。御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○猪俣委員 あなたの同僚である檢事は、後藤つぎのうちかあるいは後藤つぎの関係している「つたのや」といううちでしよつちゆう宴会をやつたということを聞いておりませんか。
○猪俣委員 横浜に後藤つぎという、俗称檢事正というのがある。その後藤つぎから、あなたは一ぱいのみに行こうといつて誘われたことはありませんか。
○猪俣委員 九月の上旬、あなたは後藤つぎのうちへ、彼に招かれて行つた際に、宮崎檢事が後藤つぎのうちにいたというのは事実ですね。
ついては來る二十三日 岩山 明正君 鈴木 茂雄君 橋本千代雄君 望月 正身君 香取 博史君 吉積 春雄君 後藤 つぎ君 横山 唯志君 荒木 和雄君 酒寄 久市君 平林 昇君 富田 正典君 榊 清史君 以上十三名の証人出頭の要求を議長に提出するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○花村委員長 後藤つぎという人を知つていますか。
○一瀬證人 私は後藤つぎには会いませんです。
○梨木委員 先ほどのお話の中に、後藤つぎを中心にして粛正派と反粛正派が対立しておるように思われたというふうに受けとれましたが、粛正派は後藤つぎのところにあまり出入りしない、反粛正派というのは後藤つぎのところに出入りしておつたというようなことで色わけできるのですか。
そこでまた事件は違うのでありますが、当法務委員会が調査をいたしました横浜地檢問題につきまして、その後東京の高檢の行政視察がありまして、例の後藤つぎ事件その他の事件をめぐりまして、東京高檢が調査に行つたはずでありますが、その結果はどういうことになりましたか、お漏らしいただきたいと思うのであります。
後藤つぎ事件というのは、私どもはそれを中心に行つたのではないのでありまして、木船事件の背景をなすものとしてただ後藤事件のアウト・ラインを調べたのでありまするけれども、どうも後藤つぎなるところの婦人がありまして、そこへ檢事が出入りする。そこへ泊り込んでおる檢事もあつたし、つぎが家を新築いたしますると、自分の元いた家に泊めたという檢事を今度住まわせた。
横浜におきましても、後藤つぎ事件についてとかくのうわさを立てられた檢事は、みな栄轉をしておるのであります。かようなことでは、出世をするためには惡いことをした方がいいということに相なる。
ことに後藤つぎというこの婦人は、目下肺炎で寢ておるわけでありますが、昨日も主任の香取檢事が臨床尋問をいたしまして、いろいろ聞いておるそうであります。
ここ三年來、この横浜地檢におけるいわゆる後藤つぎ事件などというものを中心とした数々の事件が何件あり、それが不起訴処分になつたのが何件あるかというようなことを、調査なされたことがあるかお伺いいたしたいと思います。